失われゆく、涙、血、そして時間

今週のお題「こぼしたもの」

 採血や献血で血液を体外に排出することがありますよね、わたしたち人間はいつも食事で、体内に摂取することを多く考えるけど、血液を抜くのって新鮮で、よくない欲望や不安なんかを外に出すような精神的な効果を感じたりするのです。

 得られるものよりも、失うもののほうが、心に残りやすく、存在し続ける。

 

お話は変わるのですがん、就職して平日は働いて、いつも目の前の出来事をまっすぐ見つめて、死や恐怖や未来を感じないで、生きるのって、幸せなことだなと思う、

 ブラック企業に勤めて、意識する間もなく過労死を体験する、寿命で死ぬことと、なにも変わらないと思う、死を感じることなく、死を体感する、そんな非現実が現実になるような毎日を目指したいと思う。でも死を目標にすれば何も変わっていないのと同じ、自分で変われないのなら変えてほしい、欲望、願望、誰か、その答えはいつも、物語の世界にしかない、助けてくれるのは物語の世界であって、世の中には、幸福を送ろうと生きる人間はいないと思う。

 人が幸福を求めれば、得られないものを一生抱えることになる、それはさみしく、ひどく悲しい物語になるのではと、思い、怖いのです。でも、そんな物語、ほしいものを探す旅と思えば、でも、探して見つからなかったとき、わたしは絶望せずにいられるのじゃな?、うん、やっぱりわたしは怖い。抽象的すぎて、具体的なものは一切ないね、

ごめんなさい、

 ほんとうはもう、きっとここにあるものがそうなんだと思う、例えば、社会人になれば、高校の時に戻りたいと願う、その欲望は、その時に叶っている。では、本当は人はなにが欲しいのだろうか、わたしはどうなりたい?。

 結局、わたしは血も涙も時間も、こぼすことに意味があると、それこそが生の証明であり、世界のすべて、大げさに表現すると、、わたしの意見は変異で特異。

日々の今日にしかない、失敗を受け入れて、反省して、そんな風に時間を、こぼしていく、要は、見えない世界を視ようとする理性よりも、見えるものに意識を集中することで、いずれくる別れや悲しみには触れないでいられる。

 どんな、出来事も悲観的にとらえて世界を視るわたしは、ひとつもこぼすことなく生きている、だから、世界が地獄に変容していくのかもしれない。

 

 語り足りない分をここに記す。 デザートに付くほろ苦いコーヒーと思ってほしい

わたしの物語を一言で表すと、光の届かない荒廃した世界に、孤独にひとり、終わらない永遠の絶望の迷宮を目的もなくさまよい続ける自分の姿、そんな風にしか思えない、わたしのこころってどうなんだろう。わたしの気持ちなんて、泥水というそこのあなた、わたしの家族も神経を使って、わたしの幸福を望んでいるので、真剣に前向きに、そして、具体的に考えてほしいのです。

 人間って不思議、自暴自棄になるのが簡単すぎる、人を生んだ神様に説教したい、

神様にわたしから重要な教えを与えたいと思うのです、魔法が使えない世界観を撤回してほしい、血液の代わりに体内に魔力を流して欲しいのです。

 それで、わたしが魔女と呼ばれ、迫害され、十字架で燃やされても、あなたを恨んだりしないから。

 過労死めざしたら目の前につぶされそうだね、よりよい未来を描くからこその、

目の前に集中できるだよね、全知全能がうらやましいと思えど、知らなくてもよいことも多いものなのかな。