わたしの望む魔法

今週のお題「練習していること」

 わたしの、精神科の先生と初めて会ったとき、

最初の言葉は「望む魔法をいってみろ」でした。わたしの好きな魔法は、ほうきで自由に飛ぶ魔法。私は幼いころから、人間に心を縛られて生きてきました。だから、自由に憧れ、その意味も知らずに、ただ夢を持った子でした。

 

 人には、望みや希望があって、無意識にそれに手を伸ばして生きている。

わたしが、いつも、ほうきに乗って世界を旅する夢を視るのも、

 悪役令嬢になって、断罪され処刑される小説を読むのも、すべては、わたしの望みなんだ。

 

 わたしは、きっと処刑されたいんだ。誰かに、私のすべてを否定して、傷つけて、

心臓の鼓動を止めてほしい。毒でもいい、包丁で刺してもいい。わたしを殺して欲しい。それがわたしの望み。

 きっと、小説の主人公は、わたしの代わりに、処刑されてくれているんだね。今も。

明日も、これから先も。

 

 自分の理不尽を罪を、自責の念に支配されたわたしは、許しを請うために、わたしの腕をナイフで傷つけようとした。これは、許されたい欲求からくる衝動だ。

 でも、結果的にしなかった。わたしはいま、家にいて、安心できる光が少しでも残っていたから。きっと、独りで居たら、そのまま、死ぬまで、自責と自害の連鎖の中に幽閉され、一生そこにいる。

 

 話は変わるけど、私のバイトの後輩にわたしは、すべてを教えたいと思う。

私の知っているモノをすべて、教えて、出来るかは関係ない。理想の形を、目指すべき具体的な形を示すことの意味は大きいと思う。出来ない時間が長くても、わたしがフォローすればいい。私は弱者だ。それでも、今も生きている。なぜ、今もここに居られるのか、毎日考えたいと思う。