好きなものはたくさんある、ようでない。
見たいものしか、視えないから。世界は都合の良いもので溢れているから。
好きなものを視えないように、世界を書き換えてしまった。そのことにすら気づいていない人たちがたくさんいるのが私の存在。
世界は視たいものと言い換えることができる。
集中すると、極限状態に入ることもある。その世界では、普通の日よりも、少しだけ
眼から入る情報が多く入ると思う。その情報量を処理する能力も一時的に上昇する。
人に褒められる。理屈として気持ちが悪い。怒られたくなくて、しているだけなのに、
人間は、君は頑張っていたのに、残念だよと、わたしに言う。
私は二度とそんな風に私の人生を、時間を云われたくない。だから、人間にきたいされるのも称賛されるのも、とても嫌い。都合のいい言葉で人間を縛り、傷をつける。
傷は残るから。過去は消えないから。
といっても、罪は死ねば消える。だから、まだ救いはある。死が救いだ。
わたしの安らぎは、死にしかない。勘違いしてはいけないよ。
死ぬまで、罪は消えない。
死の誘惑。人を死に向かわせる何か。
わたしは、私の死を、私がこの世界に必要のない存在だと肯定してほしいのだ。
要は、誰かに責任を与えて、死にたい、消えたいだけ。だから、話の辻褄が合わない。この気持ちは変わらない。
自分自身を最底辺の人間だと思わなければ、世界を平和に生きるなんて、できないから。傷つくのが怖い。
例えば、殺しをしたことのない人が、とても優しい女の子が、殺しをしないといけなくなった。ここで、優しい子が人殺しをして心が壊れないわけがない。
人間は、心が壊れないように、無意識に脳を書き換え、解釈を変えてしまう。
人殺しは別に普通の事、大したことない。そう認識すれば、世界は一変する。
心は平和を取り戻す。そうやって人間は精神を保って生きていく・
わたしの時もそうだった。毎日、私を否定するものだから、私は消えるべき存在だと思った。私がこの世界の欠陥品だと認識するだけで、否定されても、気にならなくなった。それは、普通のことで感情を動かすことではないから。
そうやって、人間は変化していく。
とりあえず、これが現状の分析結果だよね。脳の心理的な制限というか、
要は、もう脳が異常な方向に解釈して完成しているという意味合いかな。
それで、ここからどのように、解釈を変えていくかに焦点が当たるわけかな。
あの状況なら、今でも奴を殺したと思う。この言葉を聴いたとして、私もそう思う。
後悔するとか、反省とか、世界の在り方って、変わるものなのかな。突然、地球が消えてしまうのと同じくらいの現象だよね。