わたしの生命の日記帳

 投稿数の減っている私の心境に介入してほしいと願う。

アルバイトや家庭の料理、医療専門学校の受験勉強、面接の準備なんかで、心の容量が多量で生活の余裕の質があまりに無い物なのです。

思春期なりの心境は複雑巧妙で、シンプルが故に心を支配する、思春期という名の魔法というか、呪いみたいな呪術的な扱いになるのかな。

 攻撃魔法系が流行るのが、幼い期間、防御系魔法の習得には時間と質が必要になるのよね。

 接客していて思うのは、お客さんから流れ出る恐怖心からの、わたしの緊張感。

会話が、戦いに比ゆ的に表現されてしまう。

 わたしが働きたい場所的な意味で、医療業界での検査ってものすごい良い環境なのかなと思うよね。冬は鍋的な印象を受けるけど、わたしは豆腐かな。暖かくて、柔らかいもの、わたしのお母さんは豆腐です。「豆腐の魔法」

 アルコールで手のひらの角質間脂質を破壊して亡き者にするのが、わたしの悩み。

 

 今日は一日、わたし以外の生活を視る機会になったかなと思う。

わたしが家族と家にいた間、私はわたしの感情よりも、他者を視て優先していた。

思いを馳せるのも大切だけど、代償も大きい、家族の心を読み取り、家族の疲れ、悩み、感情移入するほど、二人の子である自分の価値が、生きている意味が、失われていくのが分かる。居場所が、その空間が無くなっていくのがわかる。

 必死にかき集めないと、消えてしまいそうになる。今日はそれを思い出したような日かな。最近、母に甘えてしまう。幼い日のように寄り添っても、否定されない、壊されないから、でも、甘えた心地を知って、さらに欲をかけば、きっと何もかも台無しで、

 壊れてしまうから。結局、わたしの拠り所って、どこの世界にあるのかな。今日はそんな日だと思う。

 たった一日、アルバイトに行かなかっただけで、世界が破滅へと歩を進めてしまったようだ。わたしの世界はバランスで成り立っていて、容易に崩れ去る。

 安心を得たと勘違いしてはいけないみたいだ。

自覚しなきゃ、薬とそれによる睡眠と、仕事による疲労、このバランスですべてが成立していて、いま、生きていることは奇跡的な事象でしかない。

 だから、このバランスを保つ努力を怠ってはいけないのか。安心して、油断して、

何かに依存したり、甘えたり、大丈夫だからとか、我がままになったりとか、

 ちょっとくらい休んでも精神は大丈夫でしょ、とか。

 油断していたことに気づいた。

わたしから薬もアルバイトも奪ったら、何も残らない。無理をしてでも、動かなきゃ、

そうでなければ、私は死んでしまうから。何が起こっても、死ぬことはないと油断していた。危ない所だ。最近の違和感の正体は、油断だ。

 油断すれば死ぬ。当然であり、生命の真理だ。

様々な精神障害の背景、経過、患者さんの症状、過去を知るのが好きだ。

 わたしだけじゃないのが救いだし、私がこうなったのは、人間自身の持つ何か、かなと、責任放棄、思考放棄の理由にできるから。それに安心する。

 わたし以外でも、死に近い人は沢山いて、わたしはその中の死体の一つでしかない。

永遠に働いていたい。考えることを放棄したいし、思考は悪の根源であり、地獄を作るための道具だと思う。思考のせいで、たくさんの人が殺され、死になった。

 

 わたしの母の悩みに、私は何とかしなきゃいけない。でも父のように思いのまま話の出来る関係ではない。その関係とその気持ちの関係、すべて、理解できる。

 わたしの出来ることは、働いて、家事をして、プレゼントして、

早く、早く、早く、早く、早く、臨床検査技師として社会で働くことだけだろう。

 でなければ、未来に希望も世界も何もない。何も残らない。

家に帰って、アニメを小説を、何もかも、思考せずに、安心して、何かをしたことがないかもしれないね、常に不安で仕方ない。考えないことが不安で仕方ない。

恐怖が大きい。どうしたらいいのだろう。分からない。

安心できないのに、安心したいと言っている愚かな少年、という感じ。う~ん。ないそれ。知らない。

 

 私は一生手に入らない、安心が欲しい。安心はできないけど、不安にもならない方法、きっとその答えが、働くということ。

 誰かのために、仕事して、自分も救われる。それってとっても、良いことだと思うけれど、そんな生活は望んでいない。生理的にそうはなりたくない。言葉では表現しにくいかな。

 だって、自分のために誰かを救うなんて、偽善だよ。正義と偽り、嘘を重ね、みんなを騙し、自分だけ得をする。みんなが幸福にはなれないものなんだよ。

 だから、その考えは絶対に否定する。私は私のために働く。

わたしが誰かのために何かするなんて、きっと世界が許さないよ。私の幸福を、世界は許さない。わたしの不幸をきっと世界は望んでいるから。

 でも、きっと世界も慈悲深いもの。死ぬことまでは望んでいない。

安らかに、静かに生きる事くらいは、許してくれる。

ぼそっと、口にした、何もせずにカフェにいたいと言ったら、母が、笑った。

 まるで、あなただけ、逃げるなと言っているみたいだった。確かに、わたしだけ幸福になることは許されないよねと思う。

 

 わたしも自尊心がついて、みんなに怒って、自由になれるのかな?

でも、それって良いことなのかな。わかりませんね。変化するではなく、進化する。

 わたしの気質は変化しないけど、生きやすく進化はするのかなと思うよ。

今は気楽にアルバイト、でも緊張も失敗も社会に出ると厳しい環境に変わるみたい。

嫌なことばかり、結局、実力主義、でもわたしは実力主義って、シンプルで少しだけ、

共感できてしまう、弱い奴は死に方も選べない。わたしもそう思う。

だから、強くなるしかない。死にたくになら、わたしのすることは一つだけ。

何もかも出来て、どんな人間よりも優秀になるしかない。

 力不足なら、そいつは死ぬ。それが当然の世界。それでいいじゃないか。と思う。

だって、環境が悪いなら、本物の理不尽だ、認めたくもない。わたしが死ぬまでこのままだなんて、認めたくない。このままは嫌なんだ。変わりたい。

 ずっと、バランスを維持する、綱渡りだ。壊れたことのない人間は緊張感がない。

いや、わたしも分からない。知らない。世界の業も、悪も、生命の何もかも知る必要すらないかもしれない。

 

 日常生活の違和感、やっぱり内心では嫌なんだろうな。

アルバイトして働かないと、精神的に安定しないし生きていけない。でも、本当は何もしなくて安心したい。結局、違和感の正体はこれか。考えないように出来ていたけど、

ふとした瞬間にまた思う。わたしは、そうすることでしか、この世界に存在できない愚かな人間なんだと自覚する。自覚するのも、違和感を感じるのも、否定したい。

でも、目を逸らしても、いずれ変化できない、進化もしない悪が膨大になって、

壊れて、元には戻らない。どうしてそんな世界に、人間になったのか。

 答えはない、けれども、わたしは生き続ける。