12.18、19診察。経過観察用の日記

 母を愛おしくなって、睡眠時に布団内で手を触れ、母さん大事だからね、大丈夫?ということがあった。私にとって、母の存在が必要という意思の表れです。

 

 今日、アルバイトしている理由についてふと思った。

理論的は、わたしの命、過去、記憶すべてに対する違和感を感じないで、精神を安定

させるためである。でも本質的に、そう感じるのはむなしいし、悲しい現実にあたる。

食事や睡眠と同じように、生きることが、アルバイトする行動と等しいことにあたる感じかな。人生の中身の一つでなく、人生が仕事と等しい関係と感じる。

 

 わたしは、生きていても決して幸せになれないし、必ず周りを不幸にする。

それは、固定観念や思い込みではない。常識や当然、当たり前のことにあたる。

疑問も例外もなく、他人事のように、わたしの存在、人生、時間がすべてが、

そういうものにあたるのだ。やっぱり、わたしは殺されて当然、何もかも無くなって、

人生最悪だというけど、わたしにとって、それは当たり前。

 

 それで良いのか、良くないのかはあまり関係ないと思う。

救う、変わるとかも関係ないと思う、ただ、一般的に、幸せになる人と、

地獄に居続ける人はいるという話と思って聴いてほしい。

 

 何もないのに、否定されて、大変だねと、3年間の実績を無駄にした。

何もかも失ってしまった。わたしにとって、それは私の普通の人生。最初から、

そうなってる。それは忘れてはいけないと思う。

 幸せな家庭を作りたいとか、良いバイト先で豊かにとか、は、わたしの人生にはないものだね。ぼくの人生は過去形だ。わたしの人生は地獄的な悲しい物語でした。

 もう遠い過去のお話。だってとっくに死んだ人のお話なのだから。